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2012-06-10

不撓不屈

これからの時代は波動の世界なので

みなの意識の総和がはんえいされる

それはまるで映像映画で描かれている

夢の世界の実現される世のルネッサンス。

文芸再生・復興の幕開けであると思います。


心のうつし世なので今までの心のあり方の流れは過去を振り返れば

大まかにイメージを描くことができるだとわたしは思っています。


まず人物を描くときは絵や彫刻や焼き物や小説や演劇でしか表現できなかったと思います。

それが1827年に人類初の写真。

写真史
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%99%E7%9C%9F%E5%8F%B2


ニエプスの発明

ジョゼフ・ニセフォール・ニエプスによる世界最初期の写真 1827年
最初の写真は、1827年にフランス人発明家ジョゼフ・ニセフォール・ニエプス (Joseph Nicéphore Niépce) による、石油の派生物であるユデアのアスファルト(瀝青)を塗布した磨いたシロメ(白鑞)の板に作成された画像である。彼はもともと石版画制作に興味を持っており、やがて手で彫るのではなく光で自動的に版を作る方法を模索した。瀝青は光に当てると硬くなって水に溶けなくなるため、これを使って印刷用の原版を作ろうとした。彼はこれをカメラ・オブスクラに装填して自然の映像を定着させることを思いつき、試行錯誤の結果1827年に自宅からの眺めを写した最初の写真を撮影した。 カメラによる画像ではあったが、明るい日光の下(もと)、8時間もの露出が必要だった。 その後ニエプスは、1724年のヨハン・ハインリッヒ・シュルツの発明に基づき、銀化合物を使った実験を始めた。


220px-Inaw.jpg


人類初の写真は肌理が粗くてぼやけた印象となってうつっています。

その当時の人物の描写・写真撮影は明るい日の光のもと8時間もの露出が必要でした。

写真を撮るのに8時間も我慢して苦行のように静止していなければ

人物を描写できなかったのです。

それはまるでなんらかの呪術・念写・瞑想のさまを思わせます。

大変そうだなぁという印象でしょうか。

まるで凄い大修行を積んで偉いんだぞー状態でしょう。


なのにそれだけ頑張っても

人物の像をうつしだす映像はぼやけて滲んだような

対象をくっきりはっきり明確に描き出せず難儀している様子がうかがえます。


まあこれはわたしだけの思ひなのですが

このようすはまさしく霊界にたどり着く前の中間世界。

俗にいう幽霊界・仙人界のさまを顕わしていると思えます。


幽霊界や仙人界というのは人間の欲望念が直接うつしだされる

世界なので色合いの色調はぼやけていて滲んだ姿となるのです。


肌理の処理がくもった粗雑な影の世界という感じでしょうか。

ぼやけた陰影の世界。

そのような印象に私は思えました。


人の自主性・主体性・自発性をそこなうような働きは

実地に入った今はあまりなさらないとわたしは思います。


たよりにならないような、たよりになる

そんな感じだと思います。

実際、わたしはそういう美しい幻が見えたり聞こえたり

したことは一切ありません。

ただいつも普通のままです。



わが国最古で唯一の銀板写真
http://blogs.dion.ne.jp/analogshinn/archives/5725719.html


唯一の銀板写真です。

1857年撮影の記録がある、島津斉彬の肖像(第28代薩摩藩主)、
昭和50年鹿児島市磯の津島家宝蔵より発見されました。

外国人が幕末の日本人のちょんまげ姿を撮影した肖像写真は
数多く現存するのですが、日本人が日本人を撮影したもので
残っている銀板写真はこれがオンリーワンなのです。



C0000088c.jpg
1857年島津斉彬の肖像

まるでお化けのような写真映像


銀板写真は、銀板上に直接左右反転したポジティブ画像そのものが
最終的に鑑賞に供される画像となるのです。このことは、
銀板写真撮影された写真は一つしか存在しないことを意味します。

ガラス湿板等後に登場した写真技術では、基本的に明暗の反転した
ネガティブ画像を得て、そこから明暗の反転しないポジティブ画像を
プリントする方式に進化していったのですね。



ゼラチン乾板

1871年、リチャード・リーチ・マドックスによって臭化銀をゼラチンに混ぜた感光乳剤が開発され、ガラス板に乳剤を塗ったゼラチン乾板が1870年代末期以降、湿式コロジオン法に代わり普及するようになった。ゼラチン乾板は感度も高く、また撮影者自身が用意しなければならないコロジオン湿板に比べて工場で大量生産し予めたくさん用意することができた。これによって、野外での撮影の機動性も飛躍的に高まったほか、これまでの感度では撮れなかった動く人々が撮れるようになった。エドワード・マイブリッジによる、走る馬や跳ぶ人間の動きの瞬間を捉えた連続写真もこれで撮影された。



1871年より人の動きを瞬間でとらえる映像をうつしだすことができるようになりました。

すなわち、いままでは固定して鎮まったようすでしかうつらなかった世界を瞬間瞬間に

映しクリアーな白黒写真を生み出せるようになったと思いました。


臭化銀をゼラチンに混ぜた感光乳剤が開発

臭化銀=自大銀=自大艮の金神

即ち己自身の内なる心と魂に気づくということでしょうか

今までの宗教では己自身の思念を亡くして

他人に埋没することが最善と伝えられておりました

ロボット人間のようになれと・・・

ですがこれからは自大・自己確立し善悪の誠を腹の底から理解し

人の基本的大慾求の意思の土台を貫けたものの世界観でしょうか。



「場」の医学とは?-ホリスティックな医療観-より抜粋
http://www.tsunekawa-c.net/B-TUSIN/38c/b-tusin-38.htm
“大義”への自己超越的献身

この実験は、おとなしい市民が残虐な人間に豹変するのは、「本能的な攻撃性」のためではなく、「科学的研究である」とか「科学的真理の追究」という“大義”の前で、しかも、自分より「上」の人間、つまり、ある「権威」に命令されると、自分を見失ってしまうということを見事に証明しました。

心理学の専門用語でいう「大義への自己超越的献身」というものですが、人間は基本的道徳に反するような行為をするように要求された時、権威に対抗するだけの内面的なよりどころを持つ人がいかに少ないかということを示しています。

自分自身の思考を止めて権威者の命令に従うことばかりを学んでしまった人間は、責任感も思いやりもなくし、どんな残虐な行為でもするようになるのです。私たちは内的な自己確立、つまり自立していないと、誰かの言われるままに動いてしまう。命令されたのだからやっただけで、自分の意思ではない、自分の責任ではないということになるわけです。




imagesCAVSHMLP.jpg
ネイティブアメリカン 白


ここは霊界のような世界を顕わしているのでしょう。

ありのままのあるがままの姿を瞬間瞬時の描写ができるようになった写真映像。

白と黒の父と母の暖かな優しいまなこに見守られて

豊かに自身の魂をこころの水面にうつしだしている

光と闇のコントラストを一瞬で描ききる

光と闇の永遠の輝き煌めく喜びの大歓喜


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1860年 バイエルン公女 黒


大衆化 Wiki

1884年、ニューヨークのジョージ・イーストマンは紙に乾燥ゲルを塗布する方式を開発し、もはや写真家は乾板の箱や有毒な化学物質を持ち歩かなくて済むようになった。 1888年7月、イーストマンの設立したコダックカメラが「あなたはボタンを押すだけ、後はコダックが全部やります」との触れ込みで市場に参入した。 こうして現像サービス企業が登場し、誰でも写真
撮影が可能な時代となり、複雑な画像処理の道具を自前で持つことが必要ではなくなった。 1901年にはコダック・ブラウニーの登場により写真は市場に乗った。



1890年
1890年 


このように光と闇のコントラストを一瞬で描き捧げて抱擁し高らかに謡い
喜び誠の大歓喜の世と世界中が響きあえればいいのになぁ~と思いました。


カラー写真
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%99%E7%9C%9F


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昆虫の羽のよう

初期の高耐光性のカラー写真は1861年に物理学者のジェームズ・クラーク・マクスウェルによって撮影された。彼は3原色のフィルターを一枚づつかけて3回タータンのリボンの写真を撮影し、3原色中1色のフィルターを掛けた3つのスライドプロジェクタで画像を投影してスクリーン上で合成することにより、撮影時の色を再現することに成功した[3]。しかし、赤色の再現に問題があったうえ(画像では紫を帯びている)、この試みは1890年代になるまで忘れられてしまっていた。


1868年 にフランスのルイ・デュコ・デュ・オーロンはカーボンプリントに減法混色を用いることにより初めてカラー写真を紙に定着させることに成功した。この原理は現在も印刷技術に用いられている。


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1873年 ドイツの化学者ヘルマン・ヴィルヘルム・フォーゲルによりついに赤と緑に適当な感度を持つ乳剤が開発され、カラーフィルムへの道が開けた。

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カラー写真
http://plaza.rakuten.co.jp/syoken/diary/?ctgy=24


青色発光ダイオード
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BA%E5%85%89%E3%83%80%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%89
発光ダイオードは低電力で駆動することができる光源のため、ディスプレイへの応用が期待されていた。RGBによるフルカラー表示のためには光の三原色(赤・緑・青)の発光素子が必要であるが、このうち1980年代中頃までに純赤色は実用化されていたものの、青色は実用的な高い輝度を出す製品が無かった。また黄緑色は早くから実用化されていたが、純緑色は青色と同じくGaN系半導体材料が用いられるため、純緑色LEDの実用化は青色LEDの登場以降である。これらのことから、発光ダイオードによるディスプレイの実現は困難であった。



ここで初めて、神さまと悪魔さまの世界の顕現。

透き通ったクリアーな水晶の根元色を織綾なす。


チェレンコフ光のような妖しい輝き


極彩色に彩られた有限・無限の配色世界観を成す

思うところすなわち大歓喜と大悲観の顕現ヲ成す

超新星爆発・ブラックホールの焦熱・極寒お成す


桜島_1~1
櫻島火山


と思いつきました。

私は何も知らないのでわからないのですが一應一言でゆえば勝手な思ひです。


デジタル写真
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%99%E7%9C%9F

コンピュータの原理
http://www.pro-staff.jp/guerrilla/toribia/15-gennri.html



ここは大神・太神の坐

眞理の生宮・縦横無尽・変化自在。

真光と眞闇 零と一で艶やかに彩られ綾なすデジタル。 

眞闇と真光だけの世。 入口と出口。ちんぽとまんこ。

コンピュータ=0と1、これを光の速度で処理する=馬鹿・阿保


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CG


0と1で描かれるデジタル馬鹿・阿保の時代が到来している

今現在の人類は未だにぶあつい牛乳瓶を望遠鏡のように眺め

特別な特殊な念力で動く

くもりぼやけた世界を天国だと信心している。

唯一最古の日本人が日本人を撮影したもので

残っている銀板写真はオンリーワンなのです。

などと自慢している姿は本当にもったいない。


己自らぼやけくもった牛乳瓶の望遠鏡を叩き割って手放し


裸眼で世のうつろう今をみてほしい。


現実とは尊く豊かで果てしない万華鏡のような煌めくはな

現実とわ遠き深淵の大海原を艶やかに妖しくうつすみなも


等身大の己自身を姿寸分違わず

心の水面に白黒写真のようにうつせるとしたら

違った世界がもしかしたら垣間見えるかも・・・。


神さま・悪魔さまと大霊界の世界の何が違うのか?

それはきっと己自身の色があるかないのか超個性

主体性と自主性のはたらきが備わっているのかが

重要だとわたしは思います。


沈黙をしいるは働きのない沈み淀んだ音のない世。

生命とは生き活きとリズミカルに呼吸と心音の鳴り響くこと。

澄みきったコミカルなメロディーの鳴り響く脈動。


ひとりひとりの美しい違いこそが果てしない銀河に

続いているそんな気がわたしはします。

欲望から大慾求への変容を促す。

雛形のようだ。

写真・写眞の調べはまるで一コマの顕われ。

その一瞬をとらえて放さないときめき。


そして時代は映像映画へ。インターネット世界へ。

みんなと繋がり全員自発的に参加できる

実体験実存の世界へとみないざなわれる。

光と音の大立体・大平行の宇宙の大海原。




また機会があればその物語の続きを描けるといいな・・・。




これはわたしだけの世界観なのでまったくの勘違いで間違ってるかもしれませんので

そういう世界観を持つ人もいるんだなぁ~という適当な感じで思っていて下されれば

幸いです。





不撓の魂 映画ローレライ サウンドトラック 高音質(CD音源)
http://www.youtube.com/watch?v=jHmJ1G-NaSU&feature=related




10日06時00分頃地震がありました。
震源地は台湾付近 ( 北緯24.4度、東経122.3度)で震源の
深さは約70km、地震の規模(マグニチュード)は5.9と推定されます。

沖縄県  震度3  与那国町久部良 与那国町役場*
     震度2  石垣市登野城 石垣市平久保 石垣市新栄町*
          石垣市美崎町* 与那国町祖納 竹富町大原
          竹富町船浮 竹富町上原*
     震度1  多良間村塩川 宮古島市平良西仲宗根
          宮古島市平良池間 宮古島市平良狩俣* 石垣市新川
          石垣市伊原間* 竹富町黒島 竹富町波照間














































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プロフィール

finss

Author:finss
Photograph三島鴨神社
古賀敏恵 Toshie Koga
現在大阪腐高槻死シボウ
出身佐賀縣伊魔里死本瀬戸
本籍長崎縣佐世保死天神蝶
誕生16日feb月1971穢47
趣味オンラインゲー ム
  腐女婆・婆喰イ 仁
  マザコン男漁り痴女
職業ニートひき籠 もり
  中毒婆自称文学屋

得意竿口淫:肛門舐:殷手帽

日本仁様ら布陣寄せパンダ
見世物磔砕絶賛殷賣中ぢゃ

豚賊ゴキブリ組   
父:久保田豊・銀杏家紋
  佐賀伊万里脇田 77歳
1941/09/20
母:犬塚三枝子・梅鉢家紋
  佐賀伊万里本瀬戸77歳
1941/0612   
1971/0216
娘二匹児娘ブタ死育中
    19穢・17穢
1995/10/15
2000/04/11
2001/10/11

おれ 亥マリ居魔四露死苦
全裸道驀進中書く口激布陣


以上

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