2012-05-18

絶対感

自分の中に毒を持て 著作 岡本太郎 より抜粋
あなたは常識人間を捨てれるか

1 意外な発想を持たないとあなたの価値は出ない


6 らくに生きる人間は何を考えているか


 ぼくは、プライドというのは絶対感だと思う。

 自分がバカであろうと、非力であろうと、それがオレだ、そういう自分全体に責任をもって、堂々と押し出す。それがプライドだ。ところが自尊心だとかプライドだといいながら、まるで反対のことを考えている人間が多い。

 他人に対して自分がどうであるか、つまり、他人は自分のことをどう見ているかなんてことを気にしていたら、絶対的な自分というものはなくなってしまう。プライドがあれば、他人の前で自分をよく見せようという必要はないのに、他人の前に出ると、自分をよく見せようと思ってしまうのはその人間にコンプレックスがあるからだ。

 たとえば、自分はなんてバカな奴だといいながら、そのくせ内心では、こっそり、いや、そんなこともないかもしれない、なかなかどうしてなんて思っているものだ。そういう複雑に絡みあったものがコンプレックスだ。


 大切なのは、他に対してプライドをもつことでなく、
 自分自身に対してプライドをもつことなんだ。



 他に対して、プライドを見せるということは、他人に基準をおいて自分を考えていることだ。
そんなものは本物のプライドじゃない。たとえ、他人にバカにされようが、けなされようが、
笑われようが、自分が本当に生きている手ごたえをもつことが、プライドなんだ。

 相対的なプライドではなくて、絶対感をもつこと、それが、ほんとうのプライドだ。
このことを貫けなかったら、人間として純粋に生きてはいけない。


 だから、自分は未熟だといって悩んだり、
非力をおそれて引っ込んでしまうなんて、よくない。

 それは人間というものの考え方をまちがえている。というのは人間は誰もが未熟なんだ。自分が未熟すぎて心配だなというのは甘えだし、それは未熟ということをマイナスに考えている証拠だ。

 ぼくにいわせれば、弱い人間とか未熟な人間のほうが、
はるかにふくれあがる可能性をもっている。

 人間はマイナス面のほうも多くもっている。マイナスの面があればあるほど逆にファイトを燃やして、目の前の壁と、面と向かって対決するわけだ。

 
 未熟ということをプラスの面に突きあげることが人間的であり、
素晴らしいことだと思わなければいけない。


 よく世間一般では完成された人は素晴らしいというが、この世の中には完成なんてことは存在しないんだ。完成なんてことは他人が勝手にそう思うだけだ。世の中を支配している
”基準”という、意味のない目安で他人が勝手に判断しているだけだ。

 ほんとうに生きるということは、いつも自分は未熟なんだという前提のもとに平気で生きることだ。それを忘れちゃいけないと思う。

 
 だから、うまい奴ほど自分がどの辺の位置に入るのか、まず、”基準”のほうを先に考える。


 しかし、そんな基準なんて度外視して、下手なら下手なりに、自分は下手なんだと決意すれば、もっと自由な歌い方もできるし、スポーツにしても、ナリフリかまわず自由に動くことができるだろう。



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岡本太郎 作品1949年 重工業



7 エゴ人間の幸せ感覚

 ぼくは、”幸福反対論者”だ。幸福というのは、自分につらいことや心配なことが何もなくて、ぬくぬくと、安全な状態をいうんだ。

 だが、人類全体のことを考えてみてほしい。

 たとえ、自分がうまくいって幸福だと思っていても、世の中にはひどい苦労をしている人がいっぱいいる。この地球上にはつらいことばかりじゃないか。難民問題にしてもそうだし、飢えや、差別や、また自分がこれこそ正しいと思うことを認められない苦しみ、その他、言いだしたらキリがない。深く考えたら、人類全体の痛みをちょっとでも感じとる想像力があったら、幸福ということはありえない。


 だから、自分は幸福だなんてヤニさがっているのはとてもいやしいことなんだ。


 たとえ、自分自身の家が仕事がうまくいって、家族全員が健康に恵まれて、とてもしあわせだと思っていても、一軒置いた隣の家では血を流すような苦しみを味わっているかもしれない。そういうことにはいっさい目をつぶって問題にしないで、自分のところだけ波風が立たなければそれでいい、そんなエゴイストにならなければ、いわゆる”しあわせ”ではあり得ない。

 昔、”しあわせなら手を叩こう”という歌がはやったことがある。若い連中がよくその歌を合唱して、”手を叩こう”ポンポンなんて、にこにこやっているのを見ると猛烈に腹が立って、
ケトバシてやりたくなったもんだ。

 
 ニブイ人間だけが「しあわせ」なんだ。ぼくは幸福という言葉は大嫌いだ。
僕はその代りに”歓喜”という言葉を使う。



 危険なこと、辛いこと、つまり死と対面し対決するとき、人間は燃えあがる。それは生きがいであり、そのときにわきおこるのがしあわせでなくて”歓喜”なんだ。



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8 好かれるヤツほどダメになる

 サービス精神旺盛で、ついまわりの期待するようにふるまってしまったり、チャラチャラと
軽口を連発しそのくせ軽薄だと思われてやしないか、内心絶望している人がいる。

 それはサービス精神かもしれないが、つまりはみんなに悪く思われたくない、
自分がかわいい一念なのだ。


 とかく、みんな自分を大事にしすぎる。自他に甘えているんだ。
ほんとうに自分の在り方を外につき出していない。だから。裏目が出てきてしまう。

 自分でもそれを感じるだろうし、相手も裏目を感じて、
深くつきあおうという気にならない。

 なぜ、友達に愉快な奴だと思われる必要があるんだろう。こういうタチの人は自動的にみんなに気をつかって、サービスしてしまうんだろうけど。それは他人のためというより、つまりは自分の立場をよくしたい、自分を楽なポジションに置いておきたいからだということをもっとつきつめて考えてみた方がいい。


 もっと厳しく自分をつき放してみたらどうだろう。


 友達に好かれようなどと思わず、友達から孤立してもいいと腹をきめて、自分をつらぬいていけば、ほんとうの意味で喜ばれる人間になれる。



眼の立像



































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プロフィール

finss

Author:finss
Photograph三島鴨神社
古賀敏恵 Toshie Koga
現在大阪腐高槻死シボウ
出身佐賀縣伊魔里死本瀬戸
本籍長崎縣佐世保死天神蝶
誕生16日feb月1971穢46
趣味オンラインゲー ム
  腐女婆・婆喰イ 仁
  マザコン男漁り痴女
職業ニートひき籠 もり
  中毒婆自称文学屋

得意竿口淫:肛門舐:殷手帽

日本仁様ら布陣寄せパンダ
見世物磔砕絶賛殷賣中ぢゃ

豚賊ゴキブリ組   
父:久保田豊・銀杏家紋
  佐賀伊万里脇田 76歳
1941/09/20
母:犬塚三枝子・梅鉢家紋
  佐賀伊万里本瀬戸76歳
1941/0612   
1971/0216
娘:三匹児娘ブタ死育中
  21穢・17穢・15穢
1995/10/15
2000/04/11
2001/10/11

おれ 亥マリ居魔四露死苦
全裸道驀進中書く口激布陣


以上

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