2012-04-10

舟歌

瀬島龍三と宅見勝「てんのうはん」の守り人 鬼塚英昭著作

[はじめに]
 
 私はこの本で常識を破り、読者の頭脳に挑戦する。それは、私が日本の再生を願っているからに他ならない。日本最大の闇、「田布施システム」の秘密を勇気をもって知る以外に日本の未来はない。

 
 常識を捨てろ!真実を知れ!
 


六十万人の兵士たちは、なぜシベリアに抑留されたのか

 天皇は一九四〇年九月、日独伊三国軍事同盟の締結を前にして、陸軍参謀長閑院宮と海軍軍令部総長伏見宮を罷免しようとした。陸軍はただちに同意した。後任には杉山元が参謀総長となった。海軍は翌一九四一年四月、永野修身が軍令総部長となった。『木戸幸一日記』には、この間の天皇の意向が記されている。戦争になって負けた場合のことを考慮し、皇族が陸海軍の統帥機関の長であることを避けたのである。皇族の戦争責任が自分自身に及ぶのを天皇は恐れたのであった。

 これと同じことが敗戦直後にもあった。満州にいた皇族の竹田宮恒徳王(当時、関東軍参謀)が満州から内地へ帰り、瀬島龍三が関東軍総司令部の作戦参謀に転じたのは、敗戦前月の一九四五年七月一日であった。瀬島は皇族の身替りとなった。~中略~


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 近衛文麿の対ソ交渉案によると、敗戦後の日本は、明治維新以降に勝ちえた海外の領土すべてを放棄することになっていた。沖縄、小笠原、千島列島……これらの領土をすべてソ連に貢ぐことになっていた。また、「賠償として一部の労力を提供することに同意する」となっていた。六十万人以上の兵隊を提供するものであった。

 どうしてこんな一方的、かつ屈辱的な提案をスターリンに申し入れることになったのか。その理由はただ一つだけ、すなわち、天皇制の護持であった。これが「和」の意味なのである。天皇がもし、戦争責任を取って刑に服するなどということがあれば、日本は乱れに乱れ、ゆえに国家存亡の危機を迎えることになるから、というのがその理由だった。


 瀬島龍三はこの対ソ交渉案を携えて満州に渡り、ソ連側と交渉するのである。日本にとって多少なりとも幸運であったのは、戦勝国アメリカが沖縄、小笠原諸島を占領したことである。

 昭和天皇は「和」を大事に考えた。天皇は陸軍内部の皇道派と統制派の抗争に頭を痛めた。また、海軍内部では艦隊派と条約派の二大派閥が激しい争いを続けていた。

 ロンドン軍縮条約が一九三〇年に締結されたが、これが五・一五事件の原因となった。艦隊派この条約に断固反対の立場をとった。条約派は条約締結に賛成した。犬養毅首相のとき、伏見宮博恭海軍大将が軍令部総長になった。かくて艦隊派が条約派を海軍中枢からついh剛志、大戦へと導いていく。陸軍では皇道派がソ連を敵と想定し、対ソ戦案を練った。統制派は天皇の意向に添って対米英戦争を企画した。これらの陸海軍の対立抗争が「和」、すなわち、天皇制の護持を危うくさせた。


 そこで天皇が決断したのは、太平洋に荒波を起こすことであった。天皇は負け戦を仕掛けたのである。勝利なき戦は見事に演じられた。そして、軍人たちは統制派も皇道派も艦隊派も条約派も全部滅び去り、太平洋の荒波が静まろうとしたとき、天皇の唯一の御心は「和」、すなわち、天皇制の護持であった。戦勝国アメリカはその戦争のただ中において、天皇の身の安全を保障した。その条件は「原爆投下まで日本を降伏させるな」であった。

 天皇はアメリカに原爆投下の件につき約束した。しかし、ソ連だけが残された心配であった。「和」のためならば、日本の四つの島(本州、九州、四国、北海道)を残して、ソ連にすべて与えると約束した。そして、六十万人を超える兵隊たちも無条件で与えるとした。このことを正確にソ連に伝える密使が必要であった。その密使の役を瀬島龍三が演じたのも必然であり、偶然ではない。~中略~


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 天皇は、八月三十一日の「在外邦人は現地に於て共存」を許可している。天皇の拒否にあえば、この政策は遂行できなかった。この天皇の内閣はトップの軍人の帰還だけを考え、一般人、多くの兵士たちを切り捨てることを閣議決定したのである。三百万人を超える日本人は斬り捨て御免というわけである。この内閣の連中に比べれば、瀬島龍三は斬り捨て御免になった、天皇の赤子の一人といえる。

 敗戦国日本にあって、斬り捨て御免とされた天皇の赤子たちを救ったのは、天皇の御心に反して立ち上がった、一般の船乗りたちであった。~中略~



日本人よ、ソ連の横暴を説く前に、瀬島龍三の非人間的行動を説く前に、
天皇
はじめとする終戦処理会議の首相、大臣らの非人間行動を非難せよ。



 シベリアにおける瀬島の行為を非難する本や論文が氾濫している。しかし、私は一切この件について書かない。瀬島龍三はたしかにソヴィエト政府に優遇された。だが十一年間、酷寒のシベリアに妻子と別れて過ごしたのである。天皇の参謀として、否、天皇の密使として。そして十一年間のシベリアから帰ったあとも、その生涯にわたってシベリアに六十万人の兵士を送った張本人だとして非難され続けたのである。本当に非難されるべきは、敗戦後の内閣の悪党どもではないのかと思えてならない。~中略~


http://www.heiwa.go.jp/tenji/sengo/index.html
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袖無しの防寒外套
[高知県 村田金悦氏提供]

初めてのシベリアの冬、外気温マイナス30度、飢えに耐えかね、
ソ連労働者が持っていたパンと防寒服の袖を片方ずつ2回に分けて、
交換しました。




 国家と言う権威を背負っているのが警察という名のヤクザである。住友銀行から接待を受ける検察庁のトップの連中は「田布施システム」から権力を認められた連中、すなわち「てんのうはん」の子分である。すべて日本という国家は、中曽根康弘が言うがごとく「てんのうはん」に飛沫が及ばない二重構造になっている。無責任体制が確立されていることを私たちは知らねばならない。暴力団も二重構造の中に組み込まれている。







八代亜紀 舟歌
http://www.youtube.com/watch?v=C1GATyFEcqQ&feature=related

10日03時48分頃地震がありました。
震源地は宮城県沖 ( 北緯38.3度、東経142.1度)で震源の
深さは約40km、地震の規模(マグニチュード)は3.8と推定されます。

宮城県  震度1  南三陸町歌津* 女川町鷲神浜*



 























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Author:finss
Photograph三島鴨神社
古賀敏恵 Toshie Koga
現在大阪腐高槻死シボウ
出身佐賀縣伊魔里死本瀬戸
本籍長崎縣佐世保死天神蝶
誕生16日feb月1971穢43
趣味オンラインゲー ム
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得意竿口淫:肛門舐:殷手帽

日本仁様ら布陣寄せパンダ
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豚賊ゴキブリ組   
父:久保田豊・銀杏家紋
  佐賀伊万里脇田 73歳
母:犬塚三枝子・梅鉢家紋
  佐賀伊万里本瀬戸73歳   

娘:三匹児娘ブタ死育中
  十九穢・14穢・13穢

おれ 亥マリ居魔四露死苦
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以上

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