FC2ブログ

2012-03-27

1%の無責任と99%の自己責任社会

「書に触れ、街に出よう」
http://nicoasia.wordpress.com/category/october-2010/

[嘘の支配する風景] 私が海外に生活の拠点を移してから9年ほどになる。2001年の9・11の時はまだ日本にいた。連日テレビにブッシュやラムズフェルトの胡散臭い顔が映り、アフガニスタン侵略の必要性を訴えていた。彼らの説明は私には全く説得力がなかったのだが、日本のマスコミも真剣にそのことを論議し報じているのが気持ち悪く思われた。~中略~

2002年の秋ごろ休暇で訪れたタイの田舎でたまたま40代と思われる米国人と一緒になった。外国で出会う米国人というのは多かれ少なかれブッシュのことを恥じる人間が多いものだが、この人物は全く正反対であったので非常に面食らった。ユダヤ系米国人の富豪であることが話していてわかった。私が日本人であるためか、彼もそれを隠そうとはしなかった。家に自家用飛行機やヨットがあるという。しかし、出費に関しては過剰なまでに禁欲的で、早い話が極度に吝嗇であった。たまたま政治の話になり、彼はイラク侵攻の必要性について訴えた。大量破壊兵器がどうのとかいうブッシュ・ラムズフェルトの言っていることそのままの言い分であった。フセインやビンラディンは悪、米国は正義などという二元論の図式そのものが、スーパーマンのような陳腐なものに思えた。私は「それはおかしいのではないか」と異議を述べ、問題点を指摘し、「米国は戦争をしたいから、そうした言い掛かりをつけているだけではないのか」と言った。


すると彼は顔を真っ赤にして「フセインは邪悪だから倒さなければならない」などと大声で喋りだしたが、彼はやはり具体的で説得力のある説明をすることができず、支離滅裂な激高に聞こえた。彼が大声を出すということは、逆に私の主張が正しいことの証明のように思えた。


私は相手ががなりたてるのを制止し、「私の言うことを聞きたまえ。大きい声を出したからと言って、あなたの主張が突然正しくなるわけではないでしょう。私は日本人だが日本政府の代理人でも何でもない。あなたは米国人だが、どうして米国政府の代弁者の如く話す必要があるのか? 政府の立場を擁護する前に、事実を客観的に検証することが大事ではないのか? 私はあなたの説明に全く納得しないし、世界の多くの人々もあなたには同意しないだろう」と言うと、静かになった。米国のネオコンと関係しているであろう人物と初めて出会ったが、不愉快な後味の悪い会談であった。同時に何か不吉なものを感じさせた。米国ではこの期に及んでこのような子どもじみた言説がまかり通るのだろうかと。マトモな論理が通じなくなっている。



「大量破壊兵器」はやはり実在しなかったのと同様、「政治とカネ」なるものも従米既得権益勢力による壮大な作り話に過ぎない。答えようもないいいがかりをつけて攻撃をする手口もそっくりである。従米既得権益勢力のやりかたは米国仕込みであると思う。マスコミにおいては「嘘も100回繰り返せば真実になる」というナチス以来の古典的な手法を応用したものだ。彼らは情報統制とプロパガンダによって国民を愚民化し、そこから収奪を続けるというファシズム体制を構築し、自らの利権を守ろうと働いているに過ぎない。幸いにも彼らの作る虚構の化けの皮は国民の手によって剥がされつつあり、王様は裸であることは多くの人に知られるようになった。説明責任を求められるのは小沢氏ではなく、この虚構を作り、国民を欺いてきたマスコミをはじめとする勢力である。



橋下維新は答えではない! ①ファシストは人々の心に巣食うファシズムに囁きかける
http://nicoasia.wordpress.com/2012/03/14/%E6%A9%8B%E4%B8%8B%E7%B6%AD%E6%96%B0%E3%81%AF%E7%AD%94%E3%81%88%E3%81%A7%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%84%EF%BC%81-%E2%91%A0%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%88%E3%81%AF%E4%BA%BA%E3%80%85%E3%81%AE/

“新自由主義者の言う「既得権益者」とは普段会うこともない上位1%の人たちのことではない。土建屋だったり、郵便局だったり、学校の先生だったり、農家だったり、市バスの運転手や役場の職員だったりするわけだ。要は日常生活で出会うその辺の人たちのことだ。それを順に殴り倒せと。次は自分の番だ”

[国歌斉唱で校長が教師の口パクをチェックする狂気]
君が代で口パクまで監視 橋下氏側近校長 大阪府立高卒業式で
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/120313/waf12031310410007-n1.htm

ここでの一番の問題は、橋下はヒラの公務員や学校の教員を屈服させ服従させるために国歌・国旗を持ち出しているのではないかということだ。要は反対者の粛清・弾圧ということが主要な目的であり、早い話が、橋下は国歌・国旗を政治利用しているに他ならない。~中略~

もし橋下維新が政権をとったとすれば、同様の手法を国民全体に対して採りかねない。橋下に近い人物らが親衛隊のごとき院外団を結成して国民を監視し、政権に反対する者たちを焙り出して「非国民」のレッテルを貼って回る、密告が奨励されるといったことになりかねない。日本が北朝鮮化する可能性がある。飛躍した想像だ、考えすぎだと言われるかも知れないが、彼らの政治手法を見る限り、最悪こうした状況が起こりうるということは頭の片隅に入れておいてよいと思う。


丸山真男の論文「現代における人間と政治」(1961)(『増補版 現代政治の思想と行動』より)で引用されているナチス時代を経験した牧師のニーメラーの回想の部分を引用する。


ニーメラー
「ナチが共産主義者を襲ったとき、自分はやや不安になった。けれども結局自分は共産主義者でなかったので何もしなかった。それからナチは社会主義者を攻撃した。自分の不安はやや増大した。けれども依然として自分は社会主義者ではなかった。そこでやはり何もしなかった。それから学校が、新聞が、ユダヤ人が、というふうに次々と攻撃の手が加わり、そのたびに自分の不安は増大したが、なお何事も行わなかった。さてそれからナチは教会を攻撃した。そうして自分はまさに教会の人間であった。そこで自分は何事かをした。しかしそのときにはすでに手遅れであった。」
こうした苦痛の体験からニーメラーは、「端初に抵抗せよ」而して「結末を考えよ」という二つの原則をひき出したのである。 ~ けれどもここで問題なのは、あの果敢な抵抗者として知られたニーメラーでさえ、直接自分の畑に火がつくまでは、やはり「内側の住人」であったということであり、しかもあの言語学者がのべたように、すべてが少しずつ変っているときには誰も変っていないとするならば、抵抗すべき「端初」の決断も、歴史的連鎖の「結果」の予想も、はじめから「外側」に身を置かないかぎり実は異常に困難だということなのである。しかもはじめから外側にある者は、まさに外側にいることによって、内側の圧倒的多数の人間の実態とは異ならざるをえないのだ。


誰しも突然ファシストになるわけではない。扇動者は人々の心に巣食う嫉妬・怨嗟という鬱屈した心情・ルサンチマンに巧みに訴えかけてくる。特に不況が長引き人々が困窮生活を強いられている状況になればなるほど、ファシストの悪魔的囁きは魅力的なものに感じられる。

新自由主義者・構造改革論者たちは言う、「抵抗勢力を叩け」「既得権益者を叩け」「奴らが元凶だ」と。マスコミがこうした主張に付和雷同し、専門家が新聞テレビで難解な専門用語を駆使して、その主張にお墨付きを与え正当化する。たちまち人々のルサンチマンが「抵抗勢力」「既得権益者」に向けられ、為政者がそれら「抵抗勢力」「既得権益者」と呼ばれる人たちを叩く様を見て、熱心に「改革」をしているのだと思い込み、拍手喝采を送る。周囲が皆徐々にそうなっていくので、なかなか気付かないのだが、知らぬ間に自分自身も規模の小さなファシストになっていくのだ。ところが本人は外界に身を置いていないので、なかなか自分がファシストになっていくことに気付かない。夢にも思わぬことであるかも知れない。~中略~


さらに注意が必要なのは、こうした新自由主義者・構造改革論者の主張する「抵抗勢力」「既得権益者」と呼ばれる人たちは決して「1%支配層」のことを指しているのではないということだ。冒頭に書いたように、それは土建屋だったり、郵便屋だったり、学校の先生だったり、農家だったり、市バスの運転手や役場の職員だったりするわけである。要は日常生活で出会うその辺の人たちのことなのである。「抵抗勢力」「既得権益者」を攻撃しているはずが、詰まるところ自分の周囲にいる隣近所の人たちを攻撃していることに他ならないのだ。ますます地域社会は分断され、人々はアトム化する。そして、構造改革論者・新自由主義者の次の標的は自分自身になりかねないのだ。


新自由主義者・構造改革論者のいう「構造改革」とは、1%支配層の支配の構造を変革することでは決してなく、逆にそれを強化し、かつ残りの被支配層を分断した状態に固定化して相互に憎悪させる結果となる「改革」と言えよう。


そして落ちぶれている人たちの原因は社会的な要因ではなく、
「自己責任」ということにされてしまうのだ。



既に社会の分断と人々のアトム化は深刻なレベルに達している。~中略~


新自由主義者・構造改革論者についていけば、日本に「絆」などできるはずもない。強化されるのは「1%支配層の絆」のみである。彼らこそが1%側に仕えるイデオローグたちであるからだ。彼らの悪魔的囁きの陥穽に陥らず、今こそ国民の分断、そして心に巣食う「自分だけは」という発想を克服し、本当の「絆」を模索せねばならない。新自由主義グローバリストたちに騙されてはならない。同時にそれは自分の内面との戦いでもある。


gigaz089s.jpg
2012年3月11日 ほだれ祭り


愛知県の田縣神社(たがたじんじゃ)で毎年3月15日に開催されるちんこ祭りと、大縣神社(おおあがたじんじゃ)で毎年3月15日以前の日曜日に開催されるまんこ祭りが2009年はまさかの同日開催!
http://sazanami.net/%E3%81%BE%E3%81%95%E3%81%AB%E5%90%88%E4%BD%93-%E3%80%8C%E3%81%A1%E3%82%93%E3%81%93%E7%A5%AD%E3%82%8A%E3%80%8D%E3%80%8C%E3%81%BE%E3%82%93%E3%81%93%E7%A5%AD%E3%82%8A%E3%80%8D%E3%81%8C%E9%A9%9A%E6%84%95/


090315_016.jpg

090315_013.jpg

宇宙時代にふさわしいロケットのようなご神体。



























スポンサーサイト



プロフィール

finss

Author:finss
Photograph三島鴨神社
古賀敏恵 Toshie Koga
現在大阪腐高槻死シボウ
出身佐賀縣伊魔里死本瀬戸
本籍長崎縣佐世保死天神蝶
誕生16日feb月1971穢47
趣味オンラインゲー ム
  腐女婆・婆喰イ 仁
  マザコン男漁り痴女
職業ニートひき籠 もり
  中毒婆自称文学屋

得意竿口淫:肛門舐:殷手帽

日本仁様ら布陣寄せパンダ
見世物磔砕絶賛殷賣中ぢゃ

豚賊ゴキブリ組   
父:久保田豊・銀杏家紋
  佐賀伊万里脇田 77歳
1941/09/20
母:犬塚三枝子・梅鉢家紋
  佐賀伊万里本瀬戸77歳
1941/0612   
1971/0216
娘二匹児娘ブタ死育中
    19穢・17穢
1995/10/15
2000/04/11
2001/10/11

おれ 亥マリ居魔四露死苦
全裸道驀進中書く口激布陣


以上

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QRコード