2012-01-04

魂の殺人

アリス・ミラー(Alice Miller、1923年1月12日 - 2010年4月12日)は、幼児虐待とその社会への影響に関する研究で有名なスイスの心理学者、元精神分析家。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%A9%E3%83%BC
1923年、ポーランド(現ウクライナ)リヴィウに生まれる。1946年にスイスに移住。バーゼルにて哲学、心理学、社会学の博士号を取得。1986年に名誉毀損防止同盟よりJanusz Korczak Literary Awardを授与される。

臨床経験の豊富さ及びその質の高さと、その著述の多さでは、世界的に注目されている。日本でも多くの本が訳出されている。ミラーは、人間社会の暴力性の根源を、幼児に対して加えられる暴力に求める。三歳までの子供は、親をはじめとする大人に対して全く抵抗することができず、自分でその場を離れることもできない。それゆえ、その間に幼児に暴力が加えられた場合、生き延びるためには、自分に暴力が加えられることを「正しいことだ」と肯定せざるをえない。このような形で暴力を肯定して屈服した子供は、その屈辱や悲しみを隠蔽し、その上に「正しい」人格(偽りの自己)を構成する。しかし、隠蔽されても屈辱や悲しみはそのまま生き延びており、それが絶えざる不安を惹き起こす。大人になってからも、それは一向に減少することなく継続し、何らかの機会にそれが他者に対する暴力として発揮される。特に暴力の対象となるのが、抵抗される心配もなく、またその暴力の行使を「しつけ」として正当化しうる自分の子供である。このような暴力の連鎖が、犯罪や反社会的行為の源泉であるとする。


侵略者である明仁偽天皇一族に対して全く抵抗することができず、移住することもできない。
それゆえ、誠の日本人に暴力が加えられた場合、生き延びるためには、
自分に暴力が加えられることを「正しい天皇様だ」と肯定せざるをえない。
このような形で暴力を肯定して屈服した誠の日本人は、その屈辱や悲しみを隠蔽し、
その上に「正しい」人格(偽りの自己)を構成する。
しかし、隠蔽されても屈辱や悲しみはそのまま生き延びており、
それが絶えざる不安を惹き起こす。
現代になってからも、それは一向に減少することなく継続し、
何らかの機会にそれが他者に対する暴力として発揮される。
特に暴力の対象となるのが、抵抗される心配もない福島の貧しい被爆者たち。

またその暴力の行使を日本国家の為・天皇の為として正当化しうるのである。

このように日本の歴史上隠された暴力の連鎖が、国家犯罪や反社会的行為の源泉である。

日本の真実の歴史と直面することを学び、明仁偽天皇一族のご先祖様たちが
どのようなことを実際に行ったのかを客観的事実として認識し
失われた誠の日本人の歴史(自己)を再び意識することができるようになれば・・・。




生き生きとした日本人としての歴史の感情を取り戻して
やっと日本人は初めて一つとなれるのだと私は思います。




しかし天皇崇拝信者さんたちは天皇を神さまのように
あがめることをやめようとしません。


なぜ天皇教信者らが

>お上が何とかしてくれるという意識が抜けない人たちが多すぎるように思います。その上で大日本帝国時代の精神主義がいまだにはびこっている。どんなにニコニコしていたとしても放射線や放射能には勝てない。まるで竹やりでB-29を打ち落とそうとしているのとなんら変わりは無い。
 政府やマスコミが「安全だというから安全なんだ」、「空気読め」、「逃げたところで餓死するだけなのだから逃げずにいたほうがマシ」というだけで、逃げようとすれば「お前は他人の痛みを無視するのか?」「非国民」「卑怯者」と言葉の鎖で縛りつけようとしてくる。あぁ、これが「絆」(もちろん悪い意味の)なんだなと痛感した。

このような行動にでるのか?
それらの理由は魂の殺人の書籍により彼らの心理状態を説明できます。


第三次世界大戦のような悲劇が起きる前に、
せき止められた衝動の集団的発作として理想化された
大日本帝国天皇万歳の歴史を繰り返さないためにも
私の命が尽きるまでは日本人の最大タブーである
偽物天皇一族のことを語らずにはいられません。





魂の殺人 アリス・ミラー著  いわゆる「闇教育」より抜粋

 大量虐殺についてのもう一つの説明は、権威を信じ、服従することに慣れ切った人間が言われるがままに虐殺を行ったというものです。これは確かに間違っていませんけれども、しかし、従順ということばを、無理強いされていると意識しながら命令を遂行することと理解しているのなら、この説明では大量虐殺のような現象を説明し切ることはできません。

 感情のある人間は一夜明けたら自分は大量虐殺者にならなければならないのだなどという状況を受け入れられるものではありません。しかし、この「最終的解決」の執行に関わったのは、感情によって邪魔されることなどない男たちであり女たちだったのです。この人たちは赤ん坊の時から自分の感情の動きを感じることなどないよう、その代わり両親の願望を自らの願望として体験するように教育され続けていたのですから。この人たちはかつての子どものころ、強くしっかりして泣かないこと、「喜んで」義務を果たすこと、怖がらないことなど、つまり根本的に、まったくなんら内的生活を持たないことを自慢にしていたのです。~中略~


 このように社会の規範、すなわちよく「健全な社会常識」と言われているものに完全に適応してしまいますと、どんな人から利用されることになるかわかりません。ここで問題になるのは自立性の喪失ではありません。そんなものは最初から存在しなかったのですから。そこで起こるのは価値のすり替えと言うべきものでしょう。しかしその価値にしても一つ一つその人には意味あるもののはずです。従順の原理がその人の全価値体系を支配しているかぎり。

 たとえば口やかましい両親の理想化が行われます、それが簡単に総統だの、何かのイデオロギー崇拝に移行するなどということがあります。口やかましい両親というのはいつでも正しいのに決まっていますから、その人たちから言いつけられたことをいちいち、これは正しいだろうか正しくないだろうかなどと思い煩う必要はまったくないわけです。それに、言いつけられたことの善悪の判断を一体どうやってしたらいいと言うのでしょう。いつもいつもこれはよくてあれは悪いと言われつけており、自分の感情というものを知る機会も与えられず、その上、子どもが自分たちに批判するのは耐え難く、命にかかわりさえするというので批判のきっかけも両親から与えられたことがないとあっては、どこから判断の基準となるものが生まれるはずがありましょう。

 大人になった人が、自分自身のものを何一つ作り上げていなければ、その人は自分がまったく両親の手の中の赤ん坊と同じように、良くも悪くも上長の思うがままに操られるのを思い知らされることになります。力あるものに対して「否」と言うことはその人にとって永遠に命がけの危険であり続けるでしょう。

 突然の政変を目撃した人はいつでも、いかに多くの人たちが信じられないくらいあっさりと新たな事態に適応するものかを伝えています。そういう人たちは一晩明けたら次の日には、昨日とはまったく逆の政治的見解を吹聴して恥じないし、それが変だとも思いません。(ギブミーチョコレート戦後日本)政権交替によってその人たちの頭の中から昨日のことはきれいに消えてしまうのです。

 にもかかわらず―~中略~ある人間を総統および一党独裁にあれほどまでのめりこませ、別の人間を徹底的にそれに反対させるものは何かを見つけることができるはずです。~中略~

 道徳とか、義務遂行とかいうものは、何か決定的なものが欠けている場合止む得ず使われる、義肢のようなものです。子ども時代に感情の空洞化が広範囲に行われていればいるほど知的な武器の品揃えは大きく、道徳的義肢の種類も多くなければなりません。道徳や義務意識は力の源でもなければ真の人間的な意味での好意を生める実りある大地でもないのですから。義肢には血が通ってはいません、それは売ったり買ったりできるもので、どんな人に使われているかは決まっていません。昨日まで正しいと言われていたことが、今日になってみたら政府なり党なりの方針で悪であり堕落であるということになってしまうとか、またその逆とかいうことも充分あり得るのです。

 しかし生きた感情を持つ一個の人間は自分自身である以外のあり方ができません。その人には他のあり方など考えられず、自己を失うことに耐えられないのです。拒絶、絶縁、失恋、中傷、こんなものもその人にとっては決して意味がないわけでなく、こういう目に会えば苦しみもするし、それを恐れもするけれど、けれどもとにかく一旦自己を見つけ、手に入れている以上、それを決して離すことはできないのです。そしてそういう人は、何かをするよう要求されているのに気づいてもそれに対して自分の全存在が「否」と言っている場合にはどうしてもそれができないのです。絶対に、何があっても。


 こういうふうになるのは、幸せなことに両親の愛情を信じることができ、両親の求めることに「いやだ」と答えなければいけないことがあっても愛されていることに不安を持たないですんだ人たちです。そうでなければ、これほどの幸運には恵まれなかったけれど、成長して後、たとえば精神分析などを通して、愛を失う危険を避けず、それに直面することを学んで、失われた自己を再び意識することができるようになった人たちか。この世の何をくれるからと言われても、その人たちが自分自身の自己を再び手渡すことはありません。


















































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プロフィール

finss

Author:finss
Photograph三島鴨神社
古賀敏恵 Toshie Koga
現在大阪腐高槻死シボウ
出身佐賀縣伊魔里死本瀬戸
本籍長崎縣佐世保死天神蝶
誕生16日feb月1971穢46
趣味オンラインゲー ム
  腐女婆・婆喰イ 仁
  マザコン男漁り痴女
職業ニートひき籠 もり
  中毒婆自称文学屋

得意竿口淫:肛門舐:殷手帽

日本仁様ら布陣寄せパンダ
見世物磔砕絶賛殷賣中ぢゃ

豚賊ゴキブリ組   
父:久保田豊・銀杏家紋
  佐賀伊万里脇田 76歳
1941/09/20
母:犬塚三枝子・梅鉢家紋
  佐賀伊万里本瀬戸76歳
1941/0612   
1971/0216
娘:三匹児娘ブタ死育中
  21穢・17穢・15穢
1995/10/15
2000/04/11
2001/10/11

おれ 亥マリ居魔四露死苦
全裸道驀進中書く口激布陣


以上

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