2011-12-25

善良な人々

「平気でうそをつく人たち」より 

―虚偽と邪悪の心理学―    M・スコット・ペック 著
1996年12月 草思社 発刊


本書の著者は、自らの診療経験から、世の中には

”邪悪な人間”がいると考えるにいたった。

邪悪な人間とは、こんな人である。――


・どんな町にも住んでいる、ごく普通の人

・自分には欠点がないと思い込んでいる

・異常に意志が強い

・罪悪感や自責の念に耐えることを絶対的に拒否する


・他者をスケープゴートにして、責任を転嫁する

・体面や世間体のためには人並み以上に努力する




・他人に善人だと思われることを強く望む。




著者は、診療室で出会った邪悪な人たちとの
会話を再現し、彼らの巧妙な責任転嫁の
やり方と隠微なうそをリアルに描きだす。

そして、彼らの核にあるのが過度のナルシシズム
であることを浮き彫りにしてゆく。

個人から集団まで、人間の悪を初めて科学的に
追究した画期的な書!



邪悪と罪悪

ボビーの両親――また、次章に紹介する

似たような人たち――をよりよく理解するには邪悪と罪悪を区別して考える必要がある。邪悪な人たちの特性となっているのは、本質的には、そうした人たちの罪悪そのものではない。彼らの罪悪の名状しがたさ、その持続性、そしてその一貫性である。




これは、邪悪な人たちの中核的欠陥が、罪悪そのものにあるのではなく、

自分の罪悪を認めることを拒否することにあるからである。




ボビーの両親や次章に語られる人たちは、その邪悪性を除けば、ごく普通の人たちである。

通りの向こうに住んでいる人たちである。

また、どんな町にも住んでいる人たちである。

裕福な生活を送っている人もいれば、貧乏な暮らしをしている人たちもおり、また、高い教育を受けた人もいれば教育のない人もいる。こうした人たちに劇的なところはあまりない。




また、犯罪者のらく印を押されているわけでもない。多くの場合、こうした人たちは「堅実な市民」、つまり日曜学校の先生、警察官あるいは銀行員であり、また、PTAの活動に積極的に参加していることも多い。


こういうことがなぜありうるのだろうか。邪悪でありながら犯罪者と呼ばれていないのはなぜだろうか。生命や生気にたいして「犯罪」を犯すという意味においては彼らは犯罪者である。

しかし、たとえばヒットラーのように通常以上の政治力を持ち、普通の人が受ける制約を免れている、というようなきわめてまれなケースを除けば、彼らの「犯罪」はきわめて隠微な、
表面に現れないものであり、

したがって、彼らを犯罪者として明確に規定することは不可能である。




この隠微性と見せかけについては本書のほかの部分でくりかえし語るつもりであるが、
これが、本書の原題ともなっている「虚偽の人々」の

根底にあるものである。


私は犯罪者と呼ばれている受刑者たちの治療に長年あたってきたが、こうした人たちが邪悪な人間だと意識したことはほとんどない。これら犯罪者と呼ばれている人たちは明らかに破壊的な人間であり、また、そうした破壊性が反復されるのが普通である。

しかし、彼らの破壊性には、どちらかといえば行き当たりばったりのものがある。また、一般に彼らは官憲当局にたいしては自分の悪行に対する責任を否定するが、にもかかわらず、

彼らの悪にはどこか開けっぴろげなところがある。




これらは彼ら自身が好んで指摘するところである。

つまり、自分たちが捕まったのは、自分たちが

「正直な犯罪者」だからにすぎないというのである。

彼らが言うには、



真の悪人というのは刑務所などには入らない。



むろん、彼らのこうした言い分は自己正当化にすぎない。

しかし、私の信じるところでは、彼らの言うことは

おおむね的を射ている。



邪悪な人間というのは、他人をだましながら

自己欺まんの層を積み重ねていく

「虚偽の人々」のことである。


その答えは、かれらの罪悪の定常性にある。

通常は隠微なものであるが、


彼らの破壊性は驚くほど一貫している。


これは、自分自身の罪悪感に耐えることを

絶対的に拒否する、というのがこの

「一線を越えた」人たちの特性だからである。




普段普通におくらしになっている「普通の人々」、「堅実な市民」、「善良な人々」
の邪悪性、残虐性を暴露した良書。

そういう人々がうみだす世の中とは、この著者が書いている通り破壊的で、よく歴史で目にするできごとである。

例えば、オウム真理教の教祖松本智津夫死刑囚。


麻原彰晃 独りごとを呟きトイレにも行かず常時おむつを着用
http://news.livedoor.com/article/detail/6070697/
東京高裁に提出された、麻原死刑囚が“現状況では裁判が出来る状態ではない”ことを伝える弁護士側の「意見書」には、2004年一審判決当時の様子が綴られている。

〈夜間に布団の中で「うん、うん」と声を発し、笑い声をあげたが、その後は房内に安座して独り言を言っている〉〈接見の最中に服の上から股間を擦り、ついには陰茎を露出させて自慰行為をし、射精にまで至った〉

※週刊ポスト2011年12月9日号


いったい日本人はどこへいこうというのだろうか?

看守たちに口止めであろう、
薬物づけにされ今は自分一人でトイレに行くこともできない

哀れな老人を日本人は処刑しようとしている。


Re: 私見:麻原は東京拘置所で薬漬け。真相暴露を恐れるオウムの黒幕が口封じ。
http://www.asyura2.com/0505/cult2/msg/324.html
投稿者 ブッシュ親子の自作自演テロの11 日時 2005 年 10 月 05 日 17:46:15: XUSllUZ/d1uKA

勿論、「麻原は死刑を逃れるために、心身損耗を繕っているだけだ。偽装だ。」という分析がなされると思います。しかし、オウム事件の真相に少しでも近づいたことのある人物なら、もはや、「オウム=麻原」という電通主導のプロパガンダを鵜呑みにすることはないでしょう。オウム事件は、麻原個人のマインドコントロールの結果などではなかった。オウムには、はっきりとした黒幕集団があり、さらにその後ろには、黒幕の黒幕である世界権力が控えていた。彼らは遠大な世界と極東の改造計画を進めつつあった。そういった裏事情をなんとしても隠蔽しとおしたい勢力が、麻原の口に蓋をしたのです。


オウムとは、日本の北朝鮮勢力の集合体だった。

オウムとは、「麻原なるカリスマ的リーダーの周りに帰依者が集まってできた組織」ではなかった。創価、統一の朝鮮人・帰化人信者を含めた北朝鮮勢力が、オウムに集まり、北朝鮮のための秘密工作を進めていた。オウムの武装計画もまた、北朝鮮の軍事行動に呼応した作戦の一部であった。北朝鮮側の事情で1995年の軍事行動を中止延期した。この外部勢力は、「麻原にマインドコントロールされて犯行に及んだ。」と口々に法廷で主張する潜入信者を用意しておき、自首させ、偽証させてきたのです。なにもかもが麻原の単独犯行だったことに丸め込み、背後関係への追及を遮断するために。麻原は、本人が気づかぬうちに、周りを外部の北朝鮮に直結した勢力の工作者に取り囲まれていたのです。(勿論、麻原も北朝鮮人脈の人物です。しかし、主役ではない。ただただ単純に傀儡であり、装飾物であり、罪を背負わされる役割の「醜い羊」だったのです。もともと、たいした人物ではなかったのです。その怪異で不潔な容貌の通りの価値しかなかったのです。



いったいこの日本で彼のこの姿をみて涙を流す方はいるのでしょうか・・・。

すでにもう救われているのだから、何が正しいもないよと・・・。

ただ殺されてゆくだけというのでしょうか・・・。


生きてるのか、死んでるのかもわからない哀れな老人を

多くの「堅実な人々」がいじめ殺す・・・。

それはすでにもう救われている人たちのすることでしょうか・・・。








































スポンサーサイト
プロフィール

finss

Author:finss
Photograph三島鴨神社
古賀敏恵 Toshie Koga
現在大阪腐高槻死シボウ
出身佐賀縣伊魔里死本瀬戸
本籍長崎縣佐世保死天神蝶
誕生16日feb月1971穢43
趣味オンラインゲー ム
  腐女婆・婆喰イ 仁
  マザコン男漁り痴女
職業ニートひき籠 もり
  中毒婆自称文学屋

得意竿口淫:肛門舐:殷手帽

日本仁様ら布陣寄せパンダ
見世物磔砕絶賛殷賣中ぢゃ

豚賊ゴキブリ組   
父:久保田豊・銀杏家紋
  佐賀伊万里脇田 73歳
母:犬塚三枝子・梅鉢家紋
  佐賀伊万里本瀬戸73歳   

娘:三匹児娘ブタ死育中
  十九穢・14穢・13穢

おれ 亥マリ居魔四露死苦
全裸道驀進中書く口激布陣


以上

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QRコード