2010-12-06

月のささやき

未来を知りたければ過去を遡れ

過去があるから今があり
今があるから未来がある

人間の生育も人類の歴史も

みな未来の夢や希望、未来の理想を語るが

過去を振り返るものがいない


未来とは新しいことではない

未来とは新しくて古いことである


いまの世は 脅の世 月を下にして力でみなをねじ伏せる脅しの時代
未来の世は 脇の世 月を左におきみな力を合わせてわきいなる時代




ロベスピエールの変節
http://uchan20.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_c13f.html
 彼は弁護士時代は死刑廃止論者で、ルイ十六世に死刑廃止の嘆願書を提出したが、フランス革命の主役になってからはギロチンに依る死刑執行を主導した。その矛盾に対して市民が論及したところ「オレは絶対王政下の死刑には反対だが、革命政府の死刑には反対ではない」と述べたという。そのロベスピエールも三十六歳でギロチンの露と消えた。

マクシミリアン・フランソワ・マリー・イジドール・ド・ロベスピエール(仏: Maximilien François Marie Isidore de Robespierre,1758年5月6日 - 1794年7月28日)はフランス革命期の政治家。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%9F%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%99%E3%82%B9%E3%83%94%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%AB
サン・キュロットの支持を得て、1793年6月2日、国民公会からジロンド派を追放し権力を掌握すると、公安委員会、保安委員会、革命裁判所などの機関を通して恐怖政治(Terreur:テルール 、テロの語源)を断行し反対派をギロチン台に送った(彼自身"terreur"を必要なものだと信じ、「徳なき恐怖は忌まわしく、恐怖なき徳は無力である」と主張した)。同年7月13日の盟友マラーの死に際しては、マラーを神格化することでジロンド派の支持を奪い、さらにジャコバン派内部でのロベスピエールのリーダーシップを不動にした。

1794年7月28日、サン=ジュスト、ジョルジュ・クートンらとともにギロチンによって処刑された(ギロチンに上ったときは先の自殺未遂の傷を押さえるため、口にハンカチを巻いていた)。

私生活は至って質素で、紳士的な服装や振る舞いは広く尊敬を集めた。しかし、あまりにも高潔で純粋すぎたために、ともすれば利や欲で動く人間を見極めることができなかったとも考えられる[誰?]。生涯独身で直系の子孫は居ないが


山岳ベース事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%B2%B3%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B9%E4%BA%8B%E4%BB%B6
山岳ベース事件(さんがくベースじけん)とは1971年(昭和46年)から1972年(昭和47年)にかけて連合赤軍が起こした同志に対するリンチ殺人事件。当時の社会に強い衝撃を与え、同じく連合赤軍の起こしたあさま山荘事件とともに日本の新左翼運動が退潮する契機となった。

総括
総括とは、本来は過去を振り返る「反省」を意味した。当時の左翼の政治運動家の間で好んで使われた思考法である。しかし、連合赤軍では次第に総括が儀式化し、実態は私刑と化していった。連合赤軍の実質的リーダーであった森恒夫と永田洋子の2人は「殴ることこそ指導」と考えていた。殴って気絶させ、目覚めたときには別の人格に生まれ変わり、「共産主義化」された真の革命戦士になれるという論理を展開し、仲間にも強いたが、絶対的上下関係の中ではその思考は疑うことができないままに受け入れられるしかなかった。総括はあくまでも「援助」であり、「お前のためなんだぞ」といいながら殴り倒した。メンバーの一人は「俺のことを小ブル主義者と呼んだだろ」と口走ったことで、個人的な怨みで総括を行っているとして、総括要求された。散々殴られたうえにロープで吊るされ、さらに激しい暴行を加えられ、1971年(昭和46年)12月31日死亡した。メンバーは総括で予期せぬ死者を出したことに一時は動揺したが「総括できなかったための敗北死」と解釈し、さらに総括をエスカレートさせた。

虐殺
「総括」は建前は相手を「革命戦士として自ら更生させる」ことを目的としており、周囲のものが暴力をふるうことは「総括援助」と称して正当化された。その際のリンチは非常に凄惨で、激しい殴打を伴った。被害者らの死因は殴打による内臓破裂や、氷点下の屋外にさらされたための凍死であった。

森や永田を不快に思った発言をしたメンバーには言いがかりをつけ「死刑」を宣告した。「死刑」の際、参加しなかったメンバーも同様に「死刑」にされた。この「死刑」は相手を殺害することを目的としたもので、アイスピックやナイフで刺された後に絞殺された。

1971年(昭和46年)12月末からの約2ヶ月半の間に死亡したメンバーは12人にも上った。死亡者の中にはメンバー同士で恋仲だったり、兄弟であったりした者もいた。中には妊娠していた女性メンバーもいた。遺体はすべて全裸で土中に埋められ、榛名ベースは放火された。

メンバーの多くはこれらの虐殺を嫌がったが、「革命」のためには我慢しなければならないという意識で虐殺にかかわり続けたことが、関係者による回想からうかがわれる。

警察による捜査
1972年(昭和47年)2月16日に、下山していたメンバー2人が発見され、逮捕される。森と永田は一度下山した後、活動資金を持ってキャンプに戻る途中で山狩り中の警官隊に発見され、2月17日に逮捕される。包囲網を突破した残党もやがて発見され、追跡劇の末にあさま山荘事件を起こして抵抗をするも2月28日に逮捕される。その後、山岳ベースから逃亡していた4人のメンバーが出頭した。


ひふみ神示 扶桑の巻 第一帖
天の数二百十六、地の数百四十四となりなり



文化大革命
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E5%8C%96%E5%A4%A7%E9%9D%A9%E5%91%BD
文化大革命による行方不明者を含めた犠牲者数は、推計で約数百万人-約三億人以上といわれ、これらの政策によって中華人民共和国の経済発展は30年遅れたと言われている。

四人組 (中国史)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E4%BA%BA%E7%B5%84_(%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%8F%B2)


06日11時16分頃地震がありました。
震源地は群馬県南部 ( 北緯36.4度、東経139.1度)で震源の
深さは約140km、地震の規模(マグニチュード)は3.6と推定されます。

埼玉県  震度1  東松山市市ノ川*
山梨県  震度1  大月市御太刀*


THE INNERS (遥かなる時間の彼方へ) / 久石譲
http://www.youtube.com/watch?v=jkw9vGY-0pA&feature=related























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プロフィール

finss

Author:finss
Photograph三島鴨神社
古賀敏恵 Toshie Koga
現在大阪腐高槻死シボウ
出身佐賀縣伊魔里死本瀬戸
本籍長崎縣佐世保死天神蝶
誕生16日feb月1971穢43
趣味オンラインゲー ム
  腐女婆・婆喰イ 仁
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職業ニートひき籠 もり
  中毒婆自称文学屋

得意竿口淫:肛門舐:殷手帽

日本仁様ら布陣寄せパンダ
見世物磔砕絶賛殷賣中ぢゃ

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父:久保田豊・銀杏家紋
  佐賀伊万里脇田 73歳
母:犬塚三枝子・梅鉢家紋
  佐賀伊万里本瀬戸73歳   

娘:三匹児娘ブタ死育中
  十九穢・14穢・13穢

おれ 亥マリ居魔四露死苦
全裸道驀進中書く口激布陣


以上

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