2010-08-24

母の秘文(もものひふみ)

心に青雲より
2・26事件の真の闇(3)
http://blog.goo.ne.jp/hienkouhou/e/bd61d9d5c3085df3fddc6adf68c4c7d2#comment-list

鬼塚氏が『天皇のロザリオ』で、ねず・まさしの『現代の断面 二・二六事件』の主張を紹介している。ねず氏は、天皇は自分の統帥権が犯され、統帥権が奪われようとすることには敏感に反応するのであって、統帥権を断固維持しようと腐心する。これは天皇家の歴史的本能だ、という。支配者としての本能ゆえに2・26事件の青年将校たちに激怒したのだ。だから天皇は「朕みずから近衛師団をひきいて鎮定にあたる」と言いだしたのだ。
 また鬼塚氏はこうもいう。
「叛乱を起こした若手将校たちは、その理由の一つに農村の窮乏をあげている。だが、彼らの中に一人として貧農の出はない。中産階級や軍人の息子である。田中隆吉が書いているように、『美妓』か『国体論』かである。彼ら将校たちを維持するために日本は大金を遣い、農村の窮乏は深まったのだ。この事実を知り得なかったがゆえの叛乱であった。」

 昭和天皇は、自分の恋(つまり後の良子(ながこ)香淳皇后との恋)を成就させるために、右翼勢力の力を借りた。そのために右翼の台頭を許してしまい、かえってみずからの統帥権をその右翼壮士らに脅かされる事態になったので、その動きを壊滅させるために、右翼の首領で日本政治に隠然たる力を行使していた頭山満を使って2・26事件を起こさせ、一気に理屈をこねる右翼を壊滅させたと鬼塚氏は見る。そして自らの統帥権をしっかりと把持すると、いよいよユダヤ国際金融資本の陰謀に乗せられて、支那大陸へ、東南アジアへと戦争を仕掛けていくのである。
 昭和11年2月が2・26事件であり、翌年8月には第二次上海事変が起きて、一気に支那事変が拡大していく。これを見れば、あきらかに天皇や財閥が、支那へ戦争を仕掛ける意図をもって、事前に2・26事件を起こしたらしいことが見てとれる。むろん、支那側(蒋介石も毛沢東も)が戦争を起こそうと構えていたのであり、すべてはユダヤ国際資本が仕掛けたものであった。
 もう一つ『天皇のロザリオ』から紹介する。これには笑えるというか…呆れ果てる話であるが…。
 昭和天皇は若いころから、宮中の書斎にはナポレオンの胸像が飾られていた(有名な話らしい)。パリを訪問したときに土産として自分で買ったもので、珍重していた。「ナポレオンの軍隊は安上がりの徴集兵で」彼は「この軍隊を愛国心に燃える兵隊の群れに仕上げた。日本の軍隊は葉書一枚で徴兵された“民草”といわれる安上がりの軍隊で、ナポレオンの軍隊以上に愛国心に燃えていた。ナポレオンは補給のほとんどを現地補給とした。天皇の軍隊はこれを真似た。ナポレオンは参謀部をつくり、機動力にまかせて、波状攻撃を仕掛けた。天皇は大本営を宮中に置き、参謀部の連中と連日会議を開き、ナポレオンと同様の波状攻撃を仕掛けた。」「あの真珠湾攻撃は、そしてフィリピン、ビルマ、タイ…での戦争は、ナポレオンの戦争とそっくりである。」と鬼塚氏は書いている。そう言われれば確かにそうだ。
 つまり、昭和天皇はナポレオンを崇拝し、彼にならって大戦争を仕掛けるという壮大な火遊びをやったのである。真珠湾攻撃が「成功した」と聞くと、狂喜乱舞したと言われる。2・26事件当時の侍従武官・本庄繁の『日記』には、天皇がナポレオンの研究に専念した様子が具体的に描かれているそうだ。
 つまり、天皇を欧州旅行に引っ張りだしたのは、おそらくユダヤ闇権力であり、その旅行で天皇がナポレオンに憧れ、やがてはユダヤ金融資本の意図どおりの戦争に打って出るような人間になるよう、策略を使ったものと思われる。
 そして昭和20年8月15日がやってくる。
 終戦の玉音放送が流れる日の朝、侍従が天皇を書斎に訪ねると、昨夜まであったナポレオンの胸像がなくなっており、代わってリンカーンとダーウィンの像が置いてあった、と…。
 この変わり身の素早さには驚かされる。つまりもう占領軍が来てもいいように、好戦的なナポレオンの像は撤去し、アメリカの受け(好印象)を狙って、リンカーンを飾り、自分は生物学に専念している(政治に無関心な)人間なのだとの印象を与えるためダーウィンを飾ったのであった。天皇は書斎からしてこうなのです…といえば、戦争責任が回避でき、マッカーサーに命乞いできるという思惑である。戦後、天皇が海洋生物の研究家になったのは、ただひとえに自分が専制君主ではなかったというポーズであり、戦争中の責任を隠す念のいった方便だった。国民もそれに騙された。



 そして戦争指導の責任を全部、東条ら軍人(それも陸軍ばかり)に押し付けた。これが歴代天皇の真実である。後醍醐天皇も南北朝の戦乱を引き起こしておいて、無責任を通し、全部責任は尊氏や楠木正成に負わせたでしょ。


 上がこれだから、戦後の日本人は政治家だけでなく、総無責任になった。



 大東亜戦争で米英と戦った主力は帝国海軍である。陸軍の主任務地は支那およびビルマやインドであって、太平洋を主任務地としたのは海軍であったから、あの太平洋での拙劣きわまる作戦で惨敗につぐ惨敗を喫し、国家を惨めな敗北に導いた直接の責任は、海軍にあった。ところが、戦後は「海軍善玉論」がマスコミや出版界を席巻し、あの戦争は全部陸軍が悪かったという風潮が醸成された。多くの作家(阿川弘之ら)がそのお先棒を担いだ。だから後年、阿川弘之が(あの程度の作家なのに)文化勲章を授賞したのは、海軍と天皇の戦争責任を隠してくれた論功行賞であったとしても不思議はない。
 しかし「海軍善玉論」(陸軍に騙され、引きずられて戦争を始めた)は大ウソであって、陸軍に責任なしとは言わないが、米英との開戦以後はほとんど海軍が悪い。その海軍の作戦を宮中の大本営で指導したのが、昭和天皇だったから、天皇としてはどうしても敗戦の責任を海軍に負わせるわけにはいかなかった。そこから「海軍善玉論」を意図的に展開させたのではないか。
 天皇が敗戦直後に伊勢神宮へ敗戦報告に出向くときの服装が、陸軍大元帥のはずなのに、海軍の軍服だったことが当時なぜ?と話題になったが、これも意味深長である。
 佐藤晃氏の著作が出るまで「海軍善玉論」は毫も疑われなかった。1月30日のブログ「老兵は死なず醜態をさらすのみ」で、佐藤晃氏の『帝国海軍が日本を破滅させた』(光文社)を紹介し、海軍の犯罪を取り上げた。佐藤氏は太平洋の作戦全般を大本営の服部卓四郎や瀬島龍三ら下僚参謀が勝手に指揮したと書いているが、知ってか知らずか、さすがに本当は昭和天皇が指導したとは書いていない。
 思えば5・15事件は海軍将校が実行し、2・26事件は陸軍将校が実行したが、天皇の反応はすでに述べたように、海軍に温情、陸軍に冷酷だった。だから、5・15事件の処罰が緩やかだったから2・26事件が起きたとする説がある。そうではなくて、もしかすると5・15事件の処分わざと甘くしたのは、陸軍将校を2・26事件に誘導するためだったのかもしれない。
 もしかすると、ナポレオンに憧れた天皇は、ナポレオンには海軍がなかったが、オレには世界一の海軍がある、大和・武蔵が、そしてゼロ戦があるとうぬぼれていたのか。だからナポレオンにできなかった大陸制覇が、自分ならできる、やってみせる!となったのかもしれない。これは推測でしかないが。

 東京裁判で収監された東条英機は尋問に答えて、「我々(日本人)は、陛下のご意志に逆らうことはありえない」と言った。これは当時としては真実である。しかし東条のこの発言が宮中に伝えられると天皇は焦ったと言われる。責任が全部自分に来てしまい、自分が絞首刑にされる。それで天皇は部下を遣わして、東条と軍部に戦争責任を負わせるべく工作をした。
 それから天皇は、なんと東京裁判のキーナン検事に宮廷筋から上流階級の女性たちを提供し、自分が戦犯に指名されないよう工作した。キーナンはいい気になって、しきりに良い女を所望したと鬼塚氏は書いている。キーナンに戦争の責任は全部東条ら陸軍軍人におっかぶせるからよろしく、との意向を女を抱かせることで狙った。女優・原節子がマッカーサーに提供されたという噂は、噂ではあるが、当時から根強くあったのは有名である。おそらくそういう悲劇が多数あったのだろう。みんな天皇一人が責任を回避するためであり、東条らが天皇を騙して戦争を指揮したというウソの歴史をつくるためであった。







 三島由紀夫は小説『英霊の聲』で、2・26事件の叛乱将校の霊を登場させ、「などて すめらぎは 人となりたまいし」と嘆くさまを描いた。叛乱将校にしてみれば血を吐くような叫びであろうが、現在の私たちから見ると、なんとも不様なマザコンぶりを露呈しているとしか思えない。どうせやるなら一気に皇居を占拠し、権力奪取しなければ謀(はかりごと)は成功しない。
だが、そういう考えを持つ人間はおらず、




ひたすら虚像でしかない天皇にすがるのみのマザコンだったのである。





そのマザコンを巧妙にユダヤ国際金融資本に突かれた…。





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http://www.youtube.com/watch?v=mKtdTJP_GUI&feature=related


































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以上

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