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2013-10-12

穢れたもの

ものぐさ精神分析 岸田秀

日常性とスキャンダル

「抑圧されたもの」はいろいろな形をとって表われる。
出物腫物ところ嫌わずである。

生体内部に毒素が蓄積して生体を崩壊させるのを防ぐために
出物や腫物が必要なように。

「抑圧されたもの」は何らかの形で表わさざる得ないのであって、
個人のレベルで表れれば神経症的症状であり、
家族の形で表れれば、たとえば前十の不良息子である。

犯罪もその一つだが、社会のレベルでもさまざまな表現形式がある。
今や昔の面影も薄れてきているが、神話や祭りや戦争もその種の表現形式である。

神話の神々は、近親相姦、親殺し、哥捨て、
裏切り、詐欺、密通、そのほかあらゆることをやる。

人々は、自分たちの日常性を脅かさない別世界の物語としてなら、
限りなくこの種の悪事を愛するのである。

又、かつての遊郭や赤線区域も、
ほかで許されないことが許される別世界としてさずけられていた点は同じである。

しかし別世界の物語、過去の物語あるいは架空の物語として「抑圧されたもの」が表現されるだけでは、我吉は満足しない。また、はじめから犯罪者として阻害されている連中の犯罪の物語だけではおもしろくない。

ユダヤ人、黒人、朝鮮人、未開放部落、不可触民など、凋団内の特定の民族又は階層、
あるいは凋団外の敵に穢れたものを投影し、
スケープゴードに仕立て上げて差別し、虐待し、攻撃するだけでは充分ではない。

聖なる者と、それに支えられている日常的なものとの陰画、その裏に抑圧されている穢れたものは、われわれにとってはるかに身近なものだからである。

かつ自分より上の社会的地位と名誉を持つ者が隠し持っている穢れたものを暴き出すことに異常な興奮をおぼえる(自分より下の階層のものは多かれ少なかれ穢れたものの範疇にはいっており、彼が隠している穢れたものを暴いても対比効果が小さい。)

聖なる者と、それに支えられる我吉の
干からびた退屈な虚構の日常性が一時的に崩れ、
いくらか生気を取り戻して副元する過程である。

一時的にせよ、日常性のこの崩れが我吉を興奮させるのであり、
スキャンダルがそうしょっちゅう必要でないのは、
余り崩れ過ぎて崩れっ放しになっても困るからである。

しかし、もっと大々的に日常性を崩すこともある。
祭りや戦争の場合がそうである。

特に戦争においては、日常性は全面的に引っくり返され、
殺人、暴行、略奪など、日常生活では禁止されていることが
称賛すべき聖なる行為となる。

日常的現実のなかでコツコツと貯えられてきた財力が一瞬にして浪費され、築かれていた
資産が一瞬にして灰燼に帰する。両親が苦労して手塩にかけてやっと育てあげた息子が
ただ一発の銃弾で死体となり、すべては水泡に帰する。

歴史の示す通り、人類は戦争が大好きで、
ときにはこのような日常的価値の逆転を必要としたのである。

これほどの犠牲を払っても、ときにはこのような逆転を必要としたということは、
われわれが日常性をどれほど憎んでいるか、
その息苦しさをどれほど耐え難く感じているかを示している。


一定の日常的価値をつねにそして
いつまでも固守し続けるということは不可能なのである。

又、日常性がどれほど無味乾燥な重苦しい虚構であろうと、本能による現実適応能力を失った人間は、この虚構に頼ざる得ない。祭りはすぐスギ、戦争もいつかはおわり、われわれは日常性へ帰っていく。そして又、日常的価値を着実に建設すると同時に、穢れた「抑圧されたもの」を蓄積する。

そして、もう二度と口にしないと誓って又すぐ酒に手を出すアル中患者のように、
そのうち何かを仕出カスか、他人が仕出カスのを見たがるか、
あるいは他人を追い詰めて何かを仕出カサせるかするのである。


このおわりのない循環から出口はあるだろうか。

可能かどうかわからないが、解決の方向を示すことができる。

以上のべてきたような様様な不合理な破壊的現象は、
要するに、抑圧われた穢れたものの発現であり、そして、
穢れたものは聖なる者の陰画であり、嚴蜜にせいなる者と対応していて、

つまり聖なる者が穢れたものを
作り出すのだから、
聖なる者を我吉が必要としなくなれば、
問題はたちどころに解決する。


問題は、われわれがあらゆる形の聖化と縁を切ることが出來るかどうこということにあるのであって、夭偟とか民族とか人種とかを聖化するのはよくないが、自由や平等や人民や
人道主義を聖化するのはいいというものではない。

人民の聖化も、それ相当の穢れたものを生み出し、
その穢れたものは必ず何らかの、ともすれば破壊的な形で発現する。

たとえば、人民の聖なるイメージに合わない人民の一部が人民の敵として、穢れたものとして血祭りに上げられる。その聖なるイメージが人民の実状からかけ離れていればいるほど、血祭りに上げられる人民は多くなるであろう。

最後にもう一度問いたい。人類はあらゆる形の聖化と縁を切ることが出來るであろうか。

もし出來ないとすれば、
人類にはこれまでの過去よりましな未来が待っているとは云えないであろう。

















































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プロフィール

finss

Author:finss
Photograph三島鴨神社
古賀敏恵 Toshie Koga
現在大阪腐高槻死シボウ
出身佐賀縣伊魔里死本瀬戸
本籍長崎縣佐世保死天神蝶
誕生16日feb月1971穢47
趣味オンラインゲー ム
  腐女婆・婆喰イ 仁
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得意竿口淫:肛門舐:殷手帽

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豚賊ゴキブリ組   
父:久保田豊・銀杏家紋
  佐賀伊万里脇田 77歳
1941/09/20
母:犬塚三枝子・梅鉢家紋
  佐賀伊万里本瀬戸77歳
1941/0612   
1971/0216
娘二匹児娘ブタ死育中
    19穢・17穢
1995/10/15
2000/04/11
2001/10/11

おれ 亥マリ居魔四露死苦
全裸道驀進中書く口激布陣


以上

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