2013-02-28

依怙贔屓の戯音

禁じられた知 精神分析と児どもの眞実
アリス・ミラー著 山下公子訳/新曜社

おとぎ話


私たちの歴史というのは、知りたがるようにそそのかされ、

好奇心を抱いたがために罰せられることから始まり、
abelに對する依怙贔屓、カインの嫉妬、
そして一連の血腥い事件と続きます。

私は児どもの頃から、自分たちの歴史の始まりの頃いたはずの
チエあるひとを求めては見つけられないままでいるのです。


ですが、このように過去が云々されるのには、
一片の眞実が含まれているかもしれません。
つまり、人間は各々自分の過去、即ち非常に幼い児ども時代に、
世界が本当はどういうものであるかを知るのではないでしょうか。
児どもは幼いとき悪をあからさまな形で體験し、
無意識のなかにその認識を島居込みます。


この乳幼児体験がおとなの空想活動の源泉になるのですが、
ただし、おとなの空想には一種の枷(貸せ)が填められています。
この空想は御伽話、伝説そして神話などに姿を見せ、


児どもだけが知っている人間の残虐性の真の姿を明らかに示すのです。


ギリシャ(希臘・義理者)神話及びその登場人物たちの描写には、
この幼児体験がほとんど剥き出しになっています。
キリスト教が意識されるようになると、いわゆる愛の掟の為、
ギリシャ神話では遠慮なく語られていたものが抑圧されたり、
それ以外の何らかの防衛紀抗によって処理されてしまうことになります。


「御伽話」という言葉には現実世界ではない
本当の事とと云う意味もありますので、
キリスト教意識の課する規制も、
ここでは通常よりはるかに弱くなることが考えられます。
ことに話の最後で善が勝ち、正義が行われ、
罪人が罰せられ善人が報われるようにしておけば。


これはつまり眞実が瞥見した事を
避妊によってなかったことにするお膳立てです。


現実には世に正義が行われることは少なく、
善人は報いられることは稀で、
眼を覆うわんばかりの残虐行為が罰せられることもないのが常ですから。


わたしたちはお膳立てをした御伽話という
形で世界の本当の有様を児どもたちに語って聞かせます。

児どもたちにしても私たちと同じで、
世界には正義があると思いたがっているのです。



ルンペルシュティるつヒェン


この御伽話のはじめの部分には王様と
その領民である粉屋との関係が描かれています。

粉屋は自分の王様をすばらしいと思い感心するのですが、
自分の方が王様に感心してもらえらえること、少なくとも認められ、
まともに相手にしてもらえるようになる可能性は全然ありません。

何か特別役にたつようなことをしない限りは。
そこで粉屋は王様に向かって、
自分の娘は藁を紡いで金にする事ができると吹聴することを思いつくのです。

王様はその娘を城に連れてこさせると、藁でいっぱいの部屋に閉じこめ、
紬車と糸巻きを渡して「明日の朝までに
この藁を金に紡いでおかなかったら命はないぞ」と脅します。

粉屋の娘はその部屋に座って泣いています。
いったいどうやったらこんなできるはずのない事ができるでしょう。
でもそれをしなければ殺されてしまいます。
つまり娘は多くの子どもたちと同じように、
生きのびるために奇蹟を行わねばなりません。
突然娘の部屋に小さな小びとが登場します。

この小びとは藁を金に変えることなど朝飯前で、本当にやってもくれます。
ところが王様は欲が不覚く、部屋一杯の金では満足しません。
娘はまた同じ破目に陥り、再び小びとが現われ助けてくれます。
さて、王様はもう一度同じことをやってくれればお前を妃にしようと約束します。

藁から金が作れる以上、
「お前よりお金持ちの女は世界中嵯峨してもいないだろうから。」
小びとはまた助けてくれるのですが、今度は見返りを要求します。
最初にできた子を呉れというのです。娘は結局王の后に収まり、
やがて可愛い子どもが生まれますが、その時小びとが子どもを連れにやって来ます。

若い王后は動真頁して、
子どもさえ勘弁してくれればどんな宝物でもあげるからと愛願しますが、
藁を金に紡げる小びとがどうしてそんな宝物に用がありましょう?
生きている子どもに悠る宝などないと小びとは突っぱねます。
それでも王妃が気の毒になったのか、小びとはこんな事を言いだします。

「もしお前が三日の間にわしの本当の名前を当てることができたら、
そうしたら子どもを連れて行くのはいくのは勘弁してやろう。」
王妃にはもちろん小びとの名などわかりませんでした。
偶然伝令が森の中で小びとを見かけ、
歌を唄い踊っていたのを王妃に話さなかったら、
王妃は賭けに負けていたに違いありません。
伝令は小びとの歌をちゃんと聞いていました。


「俺様の名がルンペルシュティルツヒェンだと知ってる奴など一人もいない。
こいつあなんて豪気な事だ」。


王妃の部屋に来て、自分の名前が解ってしまったことを知ると、
小びとは怒りのあまり右足で地面をたたきつけ、
その勢いで体が地面に減り込んでしまいます。
噴りのあまり割れを忘れて、小びとは残った左足を両手で掴むと、
我都わが身を二つに引き裂いてしまうのです。


珍しいことにこの御伽話は目でたし目でたしで終わっていません。
王妃は確かにうるさい小びとの無理難題からは逃れましたが、
彼女自身父親や王様(祖父)から強いられたと同じように、
子どもを使えば不可能も可能になるかもしれません。

しかしもちろんこの御伽話中最も
深い悲劇はルンペルシュティるつヒェンの運命です。
小びとは結局絶望のあまり自らを二つに切り裂いてしまい、
一方は誰にも見えぬ地下に潜ったまま、
そして地上に残ったもう一方はどうなったかわかりません。

小びとは自分の名を知られてしまい、
隠れた存在でいる事ができなくなってしまったために、
絶望してこのような行為に及んだわけですが、
絶望の理由はもう一つありました。

生き生きした児ども(生き残っている彼自身の自己)によって
自分の運命を変える可能性もなくなってしまっていたのです。
それまでこの小びとは(理由は不明ですが)人里離れた森の奥、
崩れ掛けた小屋にたった一人で、誰ともかかわりをもたずにいました。
おそらく小びととしては、
その小屋にそうしていれば人間の残虐さに身を曝さずにすみ、
世の痛みを逃れられると思っていたのでしょう。


小びとは一人ぼっちでした。好きなだけいくらでもお金を紬だせるという、
人間の考える限り一番素晴らしい力をもっていたにもかかわらず。
しかしこの小びともあまりに長く続く孤独に耐え着れなくなり、
人々と切り離されて生きていることにもいや気がさして、
美しい婦人の力を借りて再び生命と活力にちかづきたいと計画したのです。

美しい粉屋の娘と出会ったのは、
小びとにとって絶好のチャンスでありえたはずでした。
が、しかし彼女のために小びとの名が暴かれる結果になってしまいます。


この婦人は小びとの仮面を剥ぎ取り、小びとの誠の顔を露わにします。
しかしそれは彼女が小びとの本当の名と本当の姿を知りたいと思い
、探し求めたからではありませんでした。

小びとが粉屋の娘の王妃に三日の猶予を与えたとき願っていたのは、
王妃自身が自分を探しに来てくれることだったのに。
王妃はそれを云わばペテンによって手に入れたのです。


彼女はですから小びとの名を
悪魔の助けによってあらわにはしたでしょう。
しかしそれは見出した能登は違います。



かくも手ひどく自分のキボウが裏切られ、
愛と人間らしいつながりによって救われる可能性を失ってしまった以上、
壱岐続けてなんになるでしょう。

金も財産も孤独も慰めてくれないことは充分に解っています。
自分が役に立つ間は利用できるだけ利用しておいて、
用が済んだら放り出すというこの王妃
(もしかしたらこれは母親のことかもしれません)
に対する憤怒は、小びとを生の方向に三千火いてくれず、


むしろ絶望に追いやります。
この憤りは自分の母親本人に対して
感じなければ肯定的な意味をもたらしえません。
相手が粉屋の娘ではしかたがありません。



たとえば、王様は父親で粉屋を母親と考エルこともできます。
この母親は子どもを堕しにして夫に要求を認めさせようとしているのです。

娘と小びとの二人は一人の異なった部分だとも考えられるし、
本当の兄弟と考えることもできます。

兄弟の一方が非常に才能にめぐまれており、
もう片方に援助と功績を与えつづケルト、
結局受けることばかりの方はありがたいとは思いつつも嫉妬し、
最後には相手を憎むようになります。


感情というものは私たちが望むほど美しくもなければ
調和がとれているわけではありません。



この物語は今現在の現象を暗示的に仄めかすかのように

伝えているようにわたしは感じました。

ここで描かれている登場人物の王様は

一神教満世一系男性マザコン父権の騙し神とわたしは思いました。

粉屋は偽天皇の宦官や戒律宗教の描写で

粉屋は藁を紡いで金にする事ができると吹聴して

嘘偽りで偽天皇を一神教のペテン師に成済ませる工作活動。

または娘を騙して売り買いする両親を示す。



王妃はそれを云わばペテンによって手に入れたのです。



と書かれてある通りで粉屋の美しい姥は日本の偽天皇。


藁とは藁藁藁とプロパガンダを盲信し心無き感情を喪失した亡霊

ピカドン禿idol取り巻きファンやインポ牧師や

インチキ神主を追い掛け回すような

不安なfunfun不安不安なファン盲聾の民衆を示し

藁を紡ぐとはその民衆を支配し操って金にすると云う意。


小びとは


それまでこの小びとは(理由は不明ですが)人里離れた森の奥、
崩れ掛けた小屋にたった一人で、誰ともかかわりをもたずにいました。

小びとは一人ぼっちでした。好きなだけいくらでもお金を紬だせるという、
人間の考える限り一番素晴らしい力をもっていたにもかかわらず。
しかしこの小びともあまりに長く続く孤独に耐え着れなくなり、
人々と切り離されて生きていることにもいや気がさして、
美しい婦人の力を借りて再び生命と活力にちかづきたいと計画したのです。


小びと=ことび=小鵈=耳鳥=ミミ十

仁のヒト等とは逆であると云う意。


このような描写から秘密結社の事を示ストわたしは思念しました。

ルンペルシュティるつヒェンの名に秘められた

ルツ=鶴=ルーツと云う言靈からも

それがかすかに感じられます。


小びとは結局絶望のあまり自らを二つに切り裂いてしまい、
一方は誰にも見えぬ地下に潜ったまま、
そして地上に残ったもう一方はどうなったかわかりません。



二つを切り裂くと云う事は善と悪や東西や南北、上下などを

暗示していると思います。



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M6.9 - 85km SE of Ozernovskiy,
Russia 2013-02-28 14:05:51 UTC

千島列島6.9M



















































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プロフィール

finss

Author:finss
Photograph三島鴨神社
古賀敏恵 Toshie Koga
現在大阪腐高槻死シボウ
出身佐賀縣伊魔里死本瀬戸
本籍長崎縣佐世保死天神蝶
誕生16日feb月1971穢46
趣味オンラインゲー ム
  腐女婆・婆喰イ 仁
  マザコン男漁り痴女
職業ニートひき籠 もり
  中毒婆自称文学屋

得意竿口淫:肛門舐:殷手帽

日本仁様ら布陣寄せパンダ
見世物磔砕絶賛殷賣中ぢゃ

豚賊ゴキブリ組   
父:久保田豊・銀杏家紋
  佐賀伊万里脇田 76歳
1941/09/20
母:犬塚三枝子・梅鉢家紋
  佐賀伊万里本瀬戸76歳
1941/0612   
1971/0216
娘:三匹児娘ブタ死育中
  21穢・17穢・15穢
1995/10/15
2000/04/11
2001/10/11

おれ 亥マリ居魔四露死苦
全裸道驀進中書く口激布陣


以上

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