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2010-02-28

玉音放送

人間の覚悟
五木寛之・著  新潮新書  2008年11月刊
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/library417.html

覚悟するということ ―― 序にかえて

1945年の夏、中学1年生だった私は、当時、平壌とよばれていた街にいた。
現在の北朝鮮の首都、ピョンヤンである。
平壌は美しい街だった。大同江という大きな川が流れ、牡丹峰という緑の台地がそびえている。古代の楽浪郡の遺跡には、瓦の破片や土器などが転がっており、ポプラ並木を涼しい風がわたった。
美しい街だった、などというのは、私たち日本人の目から見た傲慢な感傷にすぎない。私たちは、植民地支配者の一員として、その街に住んでいたのだから。

1945年、夏、日本が敗れた。戦争に負けたとき、旧植民地支配者が受ける苛烈な運命に、私たちは無知だった。
そもそも日本が敗れる、ということすら想像もつかなかったのだ。
あの第二次世界大戦の末期、私たち日本国民の大部分は、最後まで日本が勝つと信じていた。
ふつうに新聞を読めば、戦局の不利はだれの目にもあきらかだったはずだ。それにもかかわらず、私たちには現実をまっすぐ見る力がなかったのである。米軍が沖縄までやってきているというのに、私たちは敗戦の予測さえついていなかった。
これがイギリスやフランスなど植民地経営に歴史のある国の国民なら、自国が敗れる前に、さっさと尻に帆をかけて逃げ帰っていただろう。
しかし、私たち日本人にはまったく現実が見えていなかったのだ。当時、ラジオ放送は絶大な信頼感をもたれていたメディアだった。
敗戦後しばらく、ラジオは連日のように、


  「治安は維持される。日本人市民はそのまま現地にとどまるように」


と、アナウンスしていた。私たちはそれを素直に受け取って、ソ連軍が進駐してくるのを、ただ呆然と眺めていただけだった。
実際には敗戦の少し前から、高級軍人や官僚の家族たちは、平壌の駅から相当な荷物をたずさえて、続々と南下していたのである。
ソ連軍の戦闘部隊が進駐してからのしばらくは、口には出せないような事態が日本人居留民をおそった。私の母も、その混乱のなかで残念な死に方をした。



私たちは二重に裏切られたのである。

日本はかならず勝つといわれてそれを信じ、現地にとどまれといわれて脱出までの苛酷な日々を甘受した。



少年期のその体験にもかかわらず、いまだに私自身、いろんな権威に甘える気持ちが抜けきれないのだ。
愛国心は、だれにでもある。共産主義下でのソ連体制を徹底的に批判しつづけたソルジェニーツィンも、異国に亡命した後でさえロシアを愛する感情を隠そうとはしなかった。
どんな人でも、自分の母国を愛し、故郷を懐かしむ気持ちはあるものだ。

しかし、国を愛するということと、国家を信用するということとは別である。

私はこの日本という国と、民族と、その文化を愛している。しかし、国が国民のために存在しているとは思わない。国が私たちを最後まで守ってくれるとも思わない。

  国家は国民のために存在してほしい。だが、国家は国家のために存在しているのである。

私の覚悟したいことの一つはそういうことだ。

国を愛し、国に保護されているが、最後まで国が国民を守ってくれる、などと思ってはいけない。国に頼らない、という覚悟をきめる必要があるのである。
国民としての義務をはたしつつ、国によりかからない覚悟。最後のところでは国は私たちを守ってはくれない、と「あきらめる」ことこそ、私たちがいま覚悟しなければならないことの一つだと思うのだ。




地獄は見えるが、見ていない

労働者の賃金が上がらないなら少しでも貯金するのが普通なのに、ミシュランで星がついた店は予約が一杯だという。若いOLたちはコンサートや歌舞伎やオペラ、海外旅行に合コンと、日々何かのイベントを楽しんでいるようにも見えます。ブラジルのリオのカーニバルが熱狂的なのは、年に一度のイペントで、そのために普段から節約して我慢もするからですが、日本では、年中お祭りさわぎがつづいている。
表面的には意識していない抑圧感や、将来への不安をそうやって解放しているということもあるでしょう。
しかし、生活保護世帯が百万を超え、給食費が払えない家庭がたくさんある一方で、ワイン1本が数万円するようなレストランが繁盛するのはいったい何だろうかと考えると、社会構造が、以前のようなある意味で安定したピラミッド型ではなく、富裕層と貧困層のあいだにいた分厚い中間層がへりつつあるという感じがする。上に上がっていく層がいる一方で、どんどん下へ落ちたりしているということかもしれません。
「格差地獄」「労働地獄」「貧困地獄」「介護地獄」――、他にいくらでも挙げられますが、日本の社会というものにメリメリと大きな亀裂が走り、その奥はすでに見えてきています。かつてのような緑の森や水をたたえた自然もなくなって、荒涼たる砂漠が広がるアフガニスタンの荒野のような世の中が、やがて目の前に出現してくるにちがいないと予感する。しかし、怖くてそれを直視できずにいるのです。
教育もだめ、医療もだめ、年金もだめ、国を守る防衛省でも不祥事が起きる。官僚のモラルは崩壊し、企業では、利益優先の前で人間の世界が草刈場になっている。宗教の世界はオウム真理数の事件以降、まったく権威が失墜してしまっている。中略~



こういう世の中で、鬱にもならず明朗活発に生きていられる方が人間としてどうかしているのではないか、とさえ思われてくる。



  地獄の入り口の門が、きしみながら開きはじめ、間もなくはっきりとした地獄が見えてくる。しかし、いくらそう言われても、人は事実を実感できないものなのです。
日米開戦前、『日米もし戦わば』みたいな日米戦争をシミュレーションした本は、トンデモ本扱いでした。しかし、結局、本当にそうなりました。それどころか、ミッドウェイ海戦で敗退し、ガダルカナル島を撤退し、アッツ島で玉砕した時点で日本軍の負けは見えていたのに、米軍が沖縄に上陸し、空襲で東京が焦土と化し、長崎と広島に原爆が投下されても、まだ大丈夫だと多くの日本人は思っていたのですから異常です。
玉音放送の前日、翌日大事な発表があると聞いた私の父親は、これは日本がソ連と同盟して米英に当たるということで、これで大丈夫、必ず神風が吹くのだといっていました。
敗戦は、すでに早くから見えていたと後から言う人がいます。しかし、見えていたなら、何でもっと大きな声で知らせないのかと思うと腹が立ちます。一部の情報通や新聞社は、かなり前からポツダム宣言を受諾すると知っていたようですが、国民の多くはみな天皇の玉音放送で泣き崩れたのです。


  人は見えるものではなく、見たいものを見るのだ、といいます。


人間に見えている世界には、いつも期待が作用しています。私の世代は、地獄のような焼跡にも闇市の活気を思い出すせいか、妙に期待を込めて地獄を想像するのかもしれません。しかし、高級な知識人たちは、いま地獄の門は開いた、とはいいません。



いずれにせよ、そうなってほしくないという期待と一緒に現実を受けとめるから、本当の地獄はまだ見えないのでしょうし、煮えたぎる地獄の釜の中に放り込まれるその時まで、わからないのではないでしょうか。

























 
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プロフィール

finss

Author:finss
Photograph三島鴨神社
古賀敏恵 Toshie Koga
現在大阪腐高槻死シボウ
出身佐賀縣伊魔里死本瀬戸
本籍長崎縣佐世保死天神蝶
誕生16日feb月1971穢43
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得意竿口淫:肛門舐:殷手帽

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父:久保田豊・銀杏家紋
  佐賀伊万里脇田 73歳
母:犬塚三枝子・梅鉢家紋
  佐賀伊万里本瀬戸73歳   

娘:三匹児娘ブタ死育中
  十九穢・14穢・13穢

おれ 亥マリ居魔四露死苦
全裸道驀進中書く口激布陣


以上

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